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新型ウィルス、遺伝子解析とAIの威力

2020.04.07
新型ウィルス、遺伝子解析とAIの威力

「病気になる前に病気を治す方法」
     (遺伝子ネットFores JAPANより )

予防といえば、小学校などで行われる「風疹」「はしか」といった予防接種を思い浮かべるかもしれません。しかし、これは主に感染症を対象として集団で行う医療行為です。

これに対し「先制医療」の予防対象は、集団から個人に移っており日本医学会第29回総会で会頭を務めた井村裕夫氏(公益財団法人稲盛財団会長)は、説明しています。「先制医療とは、集団を対象とした標準的医療ではなく、個人を対象とした個別化医療を行うもので、とくに予防にフォーカスするのが特徴です」

飛躍的な医学の進歩により、遺伝子解析で様々な病気の発症につながる遺伝子の変異が明らかになってきました。また、多様な検査法が研究され、体の状態を客観的に測定し評価する各種指標(バイオマーカー)も相次いで開発されています。

遺伝+生活習慣で病気が決まる

かつては、脳出血を起こすまで、血圧が高いことに気づきませんでした。今なら血圧というバイオマーカーを計測すれば、高血圧かどうかの判定が付くようになっています。今後は、遺伝子解析と生まれてからの生活環境を調べることで、高血圧になりやすい人を予測できるようになる可能性もあります。つまり特定個人が将来かかりやすい病気を予測し、その病気の発症を防げるようになると期待されます。これが先制医療の基本的な考え方です。

例えば両親が肥満気味の場合、子どもも肥満になる確率が高く、小学校時代に太っていた子どもは、後に糖尿病になりやすいといったデータが集まっています。多くの病気は、遺伝的素因に胎生期から生後の環境が影響し、無症状のまま長い年月をかけて進行し、やがて発症する。現在は医学の進歩に伴い、こうした病気についての診断を、かなり前倒しで付けられるようになりつつあります。したがって健康と病気の境目が、以前より曖昧になっています。大切なのは、40歳以上の中年期になってから将来の健康を考えるのではなく、生まれた時から健康に注意すること。これはライフコース・ヘルスケアと呼ばれる新しい概念です。

健康長寿を実現する先制医療

個人の遺伝子情報を解析し、早い段階からバイオマーカーをチェックしていれば、将来発症しやすい病気をかなりの程度で予測できます。それなら、まったく症状のない段階から、将来を予測して医療的介入を行えば、発症を防げる可能性がある。こうした早期介入の多くは生活習慣の改善などであるため、わずかなコストで実現可能です。

井村氏は「例えば腎臓病の場合、尿タンパクが見つかった段階では、すでに腎臓がかなり悪化しています。最終的に人工透析が必要となれば、年間でかなりのコストが必要となるでしょう。これを未然に防げるようになれば、社会的なメリットは大きい」と言っています。

アルツハイマー型認知症に関しても、発症前に兆候を見つけられるようになってきました。まず「ApoE4」と呼ばれる遺伝子を持っている人は、持っていない人に比べて4〜5倍程度、アルツハイマー型認知症を発症しやすいことが分かっています。PET検査を行えば、アルツハイマー型認知症を引き起こす「アミロイドβタンパク」や「タウタンパク」が、脳内にできているかどうかが分かります。

現時点でアルツハイマー型認知症を完治させる治療法は見つかっていません。
とは言え、「一定の効果を期待できる薬は見つかっており、治験も始まっています。アルツハイマー型認知症も、早期介入により発症を抑えたり、遅らせたりできる可能性が出てきているのです。

「まだ課題は多いものの、先制医療が普及すれば、医療や介護を必要とする人を大幅に減らせる可能性があります。できる限り病気にならずに幸せな人生を全うする。健康長寿を実現する先制医療は、日本だけでなく、これからの世界にとって欠かせない技術なのです」(井村氏)




健康寿命を延ばすことが国家財政の破綻防止につながる

井村氏が政府に「先制医療」の考え方をまとめて提言したのは11年。
「超高齢社会に突入した日本では今後、医療費高騰が間違いなく重大な社会問題となります。そんな中でこれからの医療のあり方を検討した結果、個人に焦点を当てた予防に力を入れるべきとの結論に至ったのです」 

厚生労働省によると、12年度の日本の国民医療費は39.2兆円、介護費は8.9兆円に上がっています。これが、団塊の世代が後期高齢者に突入する25年時点では、医療費が54.0兆円、介護費も19.8兆円に膨れ上がると予想されています。医療費と介護費を合わせて73.8兆円。今年度の日本の一般会計予算額が約96.7兆円であることを考えても、医療費、介護費の大きさがわかります。このまま放置すると、国家財政に与えるダメージは計り知れないほど大きくなります。

高齢者の健康寿命を延ばし、財政破綻から国を救うにはどうしたらよいのか。「先制医療」は、その一つの答えといえそうです。



人工知能技術が医療を変える

日本人の死因の3分の1を占めると言われる、がん。今、飛躍的に進化したゲノム解析の技術を、がん治療に活かす試みが本格的に始まろうとしています。そこで決定的に重要な役割を果たすのが、人工知能技術(AI)だと言われています。その一例が、IBMが開発したAI「Watson(ワトソン)」です。AI技術は、医療をどう変えるのでしょうか?

がんは、細胞内のゲノムで起こった様々な遺伝子変異が積み重なり、正常に働いていた細胞のシステムが暴走を始めることによって起こる病気です。いったんできたがん細胞は、栄養さえあれば無限に増殖します。実に厄介なことに、がん細胞は増殖に必要なエネルギーを血液から得るために、自らのまわりに血管を勝手に作って血液を補充します。つまり、一度できてしまうと、がん細胞はとめどなく増え続ける能力を持つといわれます。この難病に対する医学界の関心は高く、世界中で様々な研究が行われてきました。「15年だけでもがんに関する論文は、約20万報が発表されています」と語るのは、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長の宮野悟教授。不治の病と立ち向かうために、多くの研究者たちが、先を競うように治療法や創薬研究に取り組んでいるのです。

30億文字に上ぼるヒトのゲノム情報を読み解くと?

がんはゲノムの変異によって引き起こされる病気。と言うことは、患者のがん細胞を調べれば、ゲノムにどんな変異が起こっているかがわかります。どのような変異が起こっているかを特定できれば、その変異に関する研究を探すことで治療法も見つかる可能性がありますー理屈はその通り。ところが、これを実際にやろうとすると、かなり面倒な作業となります。

まずゲノム変異を明らかにするために、患者から同意を得てがん細胞のゲノム配列をシークエンサーで読み取る、A、T、C、Gの4文字で綴られたゲノム情報を、スーパーコンピュータで解析できるデータとして取り出します。同時に、正常細胞のゲノムと比較するために、正常なゲノムのデータを取り出します。がん細胞のデータと、正常細胞のデータの差分がゲノム異常の情報となります。これが「がんのゲノムシークエンス」と呼ばれる作業です。ヒトのゲノム情報は、30億文字分にもなります。患者一人のゲノムをすべて決めるためには、膨大な時間とコストが必要です。

膨大な論文をワトソンが“学習”個々に合った治療法を提案

シークエンスの結果をスパコンで解析すれば、ゲノムのどこにどんな変異が起こっているかを特定できます。世界には、ゲノムの変異とがんの関係、特定のがんに対して効果的な治療薬に関する膨大なデータがあります。研究論文や過去の事例報告は2,000万報を超え、治療薬に関する特許情報も約1,500万件以上あります。

つまり、ゲノム変異を特定し、その異常に関する論文を調べれば、最適な治療法や治療薬が見つかる可能性は高いです。実際、これまでは複数の医師がチームを組み、ゲノム情報データと論文データを人海戦術で突き合わせて、病名診断に取り組んできました。しかし、がん研究の論文は既に膨大な数に上り、さらに毎年20万報のペースで積み上がっています。これだけの論文を手作業で読み込み、正しい結論を導き出すのは、もはや不可能と言えます。


「そこでワトソンの活用を考えたのです。ワトソンは自然言語を理解します。しかも、単に自然言語を扱えるだけでなく、導いた回答の妥当性を自ら検証し、学習します。この自ら学習できる点が極めて重要です。なぜなら、論文に誤りが見つかることも、決して少なくありませんから」(宮野氏)

具体的には、ワトソンに論文の摘要、薬の特許情報、パスウェイ情報(遺伝子やタンパク質の相互作用を経路図として表したもの)などを読み込ませます。これによりワトソンは、遺伝子の変化がどのように絡み合った結果、どんながんになるかを学習します。その上で、ゲノムの解析結果をワトソンに読ませるのです。

すると、ワトソンは、特定のゲノム変異に関する論文を検索し、治療のターゲットとなる遺伝子の候補をリストアップしてくれます。同時に、その変異に対応する治療法や治療薬も一覧で表示し、それぞれの治療薬の現時点でのステイタスも示してくれます。

例えば、Aという薬はアメリカで認可されて使用中、B薬なら現在治験中、C薬は他のがんの治療に認められているーといった具合です。もちろん、根拠となる論文や薬の情報にもワンクリックでアクセスできます。こうした情報は、がんの基礎研究のスピードを加速させる可能性があります。

つい最近のニュースでも、診断の難しかった特殊な白血病を、ワトソンがわずか10分ほどで突き止め、複数の新たな治療法を提示し、医師がそれを取り入れて患者が快方に向かったと報道されていました。他にもワトソンは、想像を超えるがんの多様性を明らかにしつつあります。

ワトソンを活用したがん臨床研究は、まだ端緒についたばかりであり、基礎研究や臨床情報の充実などの課題も残ります。しかし今後は、一人ひとりのがんに最適で、副作用のない抗がん剤と治療法を提案できる可能性が拓けてきました。その先に見えているのは、がんという複雑な病気に対する的確な医療により、がんで死亡する人を減らすことができる未来です。


<発言者プロフィル>
井村裕夫氏◎1931年滋賀県生まれ。京都大学名誉教授・元総長。医学博士。2004年から先端医療振興財団の理事長を務める。現在は科学技術振興機構顧問、稲盛財団会長。日本での「先制医療」の第一人者。

宮野 悟氏◎東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長、東京大学大学院情報理工学系研究科教授。専門は、システム生物学、バイオインフォマティクス。









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